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バドミントンジュニア指導記

ジュニアバドミントンの指導の場を人間形成として活動し、喜び、発見、苦悩、ジュニア指導の奥深さを綴ります。

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親孝行は今からです!! 

寒くなったり、温かくなったり。
体調管理が難しいです。

花粉、黄砂、PM2.5。
報道で聞かない日はありません。

また、震災から2年経ちました。
あの衝撃的な報道の画像。
今思い出しても胸が苦しくなります。

そこから立ち上がって前に向かって歩いている皆様。
尊敬します。

人間とはなんと強い生き物なのでしょう。
普段何気なく言う消極的な言葉を恥ずかしく思わなければなりません。

今の生活ができている事に深く感謝し、
これからも精一杯、誠実に生きて行こうと思います。



さて、先週の土曜日は県の選抜大会でした。
娘はこの県選抜大会には出場できず、同日同会場で開催されたオープン大会にダブルスで出場。

パートナーのご依頼をいただいたクラブの監督、ご父兄、選手の皆様には、
娘にとって良い経験をさせることができる機会をいただき感謝しています。

今回の記事はその試合の事ではなく先週末に起こった出来事を書きます。

普段忙しくしていて私の両親にはなかなか会うこともせず、
ないがしろにしがちだったのですが自分に甘えていたと気づくことがありました。

皆様。
いろいろとご事情あると思いますが親は大切にしましょう。
親孝行は早めにね!!


なんでこんなこと言うかというと私の親父が大きな緊急手術をしたからです。
今は術前に想像していた以上の容態の良さだし、私の気持ちも落ち着いたので記事にします。

病名は「急性大動脈解離」。
冠動脈を人工血管に全置換する大手術をしました。

病名の通り急性ですので突然です。
84歳という高齢のオヤジですから頭の隅にはいつも『覚悟』を置いていました。

ですが医師の術前の話から想像していた以上に状態が良い。
甘えていた自分を見直し、これからできる限りの親孝行をしていこうと思います。

それと救命講習(AED講習)を受けた事、今回役に立ちましたっ!!
ですが二年に一回、できれば一年に一回は再講習を受けた方が良い。。。。
いや受けるべきですっ!!

以前のブログにも書きましたが、
家族内の一人が受けるのではなく最低二人は受けておく必要あります。
家は3人家族ですので私と家内ですね。

私だけが受けていても、私が急を要する状態になった時家内はあたふたするしかないので。。。


以下はその時の状況を詳しく残しておきたいための文章ですのでかなり長文です。
読みたい人だけ読んでください。





/************************************************************************/




県選抜終了後、自宅に戻りいろいろと片づけをして20時頃食事に出ようとしていました。
そこへお袋から電話。
「オヤジが胸痛を突然訴えて意識をなくしている」という一報が入りました。
ちょうど食事に出る準備をして玄関に行ったところでしたので
そのまま実家(私の自宅から車で5分ほど)へ急行。

母親は救急に電話をしたとき心臓マッサージをするよう言われたようですが、
座椅子に座ったまま意識をなくしていたため重くて寝かせることができずに私の到着を待っていました。

実家に着くといつも居る居間に座椅子に腰かけたまま顔面蒼白で力の全く無い親父。
普段なら驚きと恐怖でたじろいていたかもしれませんが
救急から指示を受けた『心臓マッサージをしなければならない』という事が私を動してくれました。
指示がなければ何をしてよいかさっぱりわからなかったでしょう。
頭真っ白ってやつですね。

私は以前のブログでも書いたように「救急救命講習」を受けていたため、
すぐに座椅子に座った親父を横にし心臓マッサージを開始。
すごく役に立ちましたーーーー!!

でも後から考えると講習で受けたことがきちんとできていなかったです。
やっぱり二年に一回、できれば一年に一回は『講習受け直して確認した方がいい』ですね!!

5分ほど胸骨マッサージをしたところに救急車が到着。
私は救急隊員と交代し、親父とお袋は救急車へ。
搬送先を聞いて私たち家族も後を追いました。

検査してでた診断は「急性大動脈解離」というものでした。
大動脈という心臓から出ている大きな動脈血管の膜が硬化して裂けてしまう病気です。
この病気は上行と下行とがあり親父は上行で、冠動脈部分の解離です。


対応としては血圧を下げる薬を投与してこれ以上悪化をしないよう温存治療するか、
緊急に手術をして人工血管に置き換えるか。。。
親父は84歳という高齢の為、医師も判断が難しいと言っていたし、
親父も病院に到着してから意識が戻り
医師の診断を聞いて「したくねーなー」と言っているとの事。
親父本人も医師をしているため、どれだけ大きな病気なのかもすぐに理解出来ますし、
自分の年齢を考えると「したくねーなー」という本音が当然だと思います。

この時点では改善するかどうかはフィフティ・フィフティ。
温存しても爆弾を背負って生きているようなもの、
いつ再度裂けて突然死をするかもしれない。
手術しても血栓が脳に飛んで脳梗塞を起こす可能性。
合併症による重体。
介護が必要な体になる可能性。
などなどもある。

いや。。。難しい判断です。

病院に行く途中と到着後に連絡しなければならないところに連絡。

姉、親父の務める病院、明日私たちは結婚式に出席する予定でしたので
そのご本人とご家族へ連絡しました。

私たちが診断結果を聞き終わったころに親父の務める病院の理事長がお見えになりました。
理事長ですから医師ではありませんがほとんどの事は私たちより理解できますので
医師の話を聞いてもらいました。

結果意識を取り戻した親父と話てどうするか決めることに。。。

救急治療室に入り親父と再会。
理事長にも同席していただいて治療について相談。

私やお袋が親父と話をし、
とりあえず温存治療してその経過により手術するかそのまま温存治療にするか決めることにしようと
決まりかけましたが。。。

理事長の励ましの言葉に親父の心が動き、本人の口から「よしっ!しようっ!!」
という力強い言葉がでました。

決める寸前医師の表情を見たらかなりせっぱつまっている。
一刻も早く何かしらの治療を開始しないといけない状況だったと理解しました。

手術は8時間の予定でしたが理事長曰く最低でも8時間。
短くなることはないでしょう。。。との事。

私たちはストレッチャーに寝かされた親父と一緒にエレベータでオペ室のある階へ移動。
待合室にて待機することになりました。

その時点で土曜日の23時ごろだったと思います。
午前零時に手術が始まったとして早くても日曜日の朝8時に手術が終了。

もうこうなったらなるようになるしかありません。


後で執刀医に聞いたことですが
手術室に入る直前親父の心臓はほとんど止まりかけていたようです。



食事に行く予定だったので私自身はあまり空腹感をかんじていませんでしたが、
家内は「こういう時こそしっかりと食事」という言葉に
お袋を理事長にお願いして家族三人で近くのコンビニに買い物へ。

病院へ戻り理事長を送って待合室で食事。

午前零時を過ぎていたため仮眠をとるような雰囲気になりました。
娘は精神的にかなりショックを受けたようで不安で眠れない様子。

どちらにしても朝までどうしようもないので一旦家内と娘は自宅へ帰しました。

私とおふくろは病院から布団を借りて仮眠。
私は結構寝れたとおもいますがお袋はやっぱりほとんど眠れていないようでした。
83歳で一晩眠れないのはかなり体に負担がかかっているはず。
気になります。


ICUは面会時間が決められており、一回に付き30分しか面会時間許されていません。
朝7:30~8:00
昼13:00~13:30
夜18:30~19:00
の三回。

手術は予定より1時間ほど遅れ午前9時過ぎ。
昼の面会時間にはまだ麻酔が覚めてなく
病院にいても仕方がないので一旦家に戻ることにしました。

私たち家族は友人の結婚式に出席する予定でした。
娘は物心ついて初めての結婚式。
とても楽しみにしていましたし良い経験になります。

式には間に合いませんでしたが、披露宴には間に合う時間でしたから急いで支度をして会場へ。

会場で事情を知る皆様からご心配の言葉をいただきました。
しかし。。。タイミングが悪かったですね。
いらないご心配を皆様にかけてしまいました。。。

二次会にも参加予定でしたがそれをキャンセルして帰宅。

夕方の面会時間に行くと手術後一旦は麻酔から覚めたようでしたが
私たちが行ったときは眠っていました。

麻酔から覚めた様子を看護師の方から聞いて、
足も手も動かしていたので恐れていた脳梗塞や
ほかの重篤になるようなものは見つからないとの事でした。

まだ不安は消せない状況でしたが、
病院にいても何もすることがないし親父の顔も見れません。

お袋もゆっくりできるかどうかは置いといて、
それでも病院より自分の家の方が精神的にも良いでしょうから帰宅することに。

帰りにスーパーへ寄って食事を買い込み私だけ実家に泊まることにしました。


その晩は病院からの呼び出しもなくお袋も眠れたと言ってました。
親父の予定を確認していたお袋から
月曜日に確定申告をしに行く予定だったと聞きそれを家内に依頼。


家の確定申告の分は家内が頑張って終わらせていましたので
オヤジの分もお願いすることにしました。
本当に助かります。


月曜日お昼の面会時間に合わせて病院へ。

ICUに入ると親父は目をつぶって眠っているようでした。
看護師から家族が来たら起こすよう伝えていたようで、
そのことを聞いて声をかけました。

人口呼吸器をつけているため言葉は出せません。
看護師はこういう状況慣れているようで読唇術的なことをしてもらい
ある程度話をすることができました。

表情も発症前と同じとまではいきませんが普段の親父に近いし、反応も良い。
四肢もしっかり動かしていて麻痺やしびれもなさそうです。


この時の面会ではかなり安心しました。


この様子だと社会復帰もそれほど難しくないでしょう。
入院中寝たきりなので、足腰が弱くなります。
その辺のリハビリさえがんばれば今までの生活に近い状態まで戻れそうです。

その状況を理事長や姉に連絡。
喜びの報告ができました。

姉は明日の水曜日に埼玉から帰京します。
月曜日の状態を自分の目で確認すればさらに安心することでしょう。

後は退院する前のリハビリと退院後のサポート。

お袋も心労あるはずですので体調の変化に注意しなければいけません。



親父は・・・
お袋と結婚直後に肺結核。
そしてC型肝炎。(当時は不治の病)
20年ほど前には肝臓がん。(今も不治の病)
何年か前には軽かったですが脳梗塞。

生死にかかわる大病ばかりです。。。
お袋もたまらんでしょうね。


着実に『その日』が近づいているようです。

今回は『運』や『ツキ』がたくさんありました。
 ・発病した時間。
  夜中であればお袋も気づかず手遅れだった。
 ・私が自宅に居た。
  練習や合宿・遠征等で遠方に出かけていなかった。
 ・病院で一旦オヤジの意識が回復した。
  回復したおかげで治療の話ができた事。
 ・治療の相談時に身近な医療関係者が同席。
  理事長のお言葉がとても影響力大きかった。


今回も突然のお別れとはなりませんでしたので本当に幸せな事。

幸せをかみしめながら、その日まで息子として悔いのない両親との生活をしていきたいと思います。

Posted on 2013/03/12 Tue. 14:35 [edit]

category: 未分類

TB: 0    CM: 3

12

コメント

Re: 良かったですね 

はい!
ありがとうございます。

本当にありがたい事です。
まだ親孝行ができるという事がどれだけ幸せな事なのかわかります。

あれから驚くほど回復をしていますので一般病棟へ、そして退院。
どんどん近い日になっています。

なので、サポートはほとんどいらないかもしれませんね。
リハビリも始めましたし。

とりあえず一安心しているところです。

URL | INDY #- | 2013/03/15 09:54 | edit

良かったですね 

お父様、不幸中の幸いでした。
色々な偶然が重なったのはまだ仕事があるよって神様が返してくれたのでしょう。
これからが大変だとは思いますが、周りの方が倒れないようご自愛下さい。

本当、孝行したい時に親はなし…です。私は学生の時に父を55歳で亡くしました。
子ども達が大人になってこれからと言う時でとても残念でした。
いくつになっても親は親、子は子。親子の時間を楽しく過ごされますように。

URL | みゃーこ #- | 2013/03/15 09:48 | edit

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 |  # | 2013/03/14 17:19 | edit

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